デザイン経営は、企業のイノベーションを促進し、新たな価値創出の可能性を拓く経営戦略として脚光を浴びている。この記事では、デザイナーとの対話を通じて明らかになった、ビジネスにおけるデザインの力に迫る。

競争の激しいビジネス環境において、企業は競合他社に差をつける方法を見つけなければなりません。差別化は、技術や品質、サービスなどの要素によってもたらされますが、自社の努力を効果的に伝えることができなければ、実を結ばないかもしれません。
そこで、デザインを企業のアイデンティティや価値観を表現するためだけでなく、戦略的な意思決定や問題解決の中核に位置付けることができます。「デザイン経営」と呼ばれるこの手法は、デザイン思考などの方法論を応用しながら、顧客中心のイノベーションを生み出すとともに、ビジネス価値を高め、業務プロセスの改善を目指します。
今回は、数多くの企業・団体の価値向上を支援してきたデザイナー兼アートディレクター椎木浩司氏との対談から、デザイン経営のメリットや実践方法について解説します。
デザイン経営というアプローチ
デザイン経営とは、意思決定や問題解決のプロセスの根幹にデザインを据えて、さまざまな業務を戦略的に展開するアプローチです。英語では「Design-led Management」または「Design-driven Management」という名称が使用されており、「デザイン管理」を意味する「Design Management」と混同しないように注意が必要です。本記事では、デザイン経営を適切に導入することにより、組織が得られる多様なメリットについて紹介します。
「ブランド」の枠を超えたデザイン
2018年に経済産業省・特許庁が「デザイン経営宣言を発表」したことを契機に、官民連携を通じてデザイン経営の普及が進んでいます。具体的な取り組みとして、「デザイン経営ハンドブック」の発行や、「関西デザイン経営プロジェクト」の立ち上げが挙げられます。最近では、中小企業の間でもデザイン経営の理念が浸透しつつあります。
デザイン経営の根底にある考えは、デザインが企業の価値観や理念を伝える強力な手段であるという確信です。これは、製品の美的「デザイン」だけでなく、ブランディング、経営戦略、価値創造など、さまざまな局面で活用できるものです。社外デザイナーとして企業案件を長年手がけてきた椎木浩司氏は、デザインを「企業が大切にしていること、求めていることを示す手法」と定義しています。
顧客、従業員、その他のステークホルダーが、企業とのあらゆるやり取りにおいて、一貫した体験をもたらすための方法です。それによって、競合他社と差別化できる独自のブランド価値が生まれます。
アートディレクター 椎木浩司
デザイン経営を業務に取り入れることで、以下のようなメリットを得ることができます。
- 顧客満足度の向上 デザイン経営のアプローチでは、顧客のニーズを理解し、それに応えることを優先するため、顧客の期待により近い製品やサービスを提供することができます。
- イノベーションの促進 創造的な思考を促することで、異なる分野や背景を持つ人々が協力し、互いに学び合う環境が促進されます。
- 他社との差別化 一貫性のある、認識しやすいブランド・アイデンティティを確立することで、競合他社から際立った存在になります。
- 収益性の向上 デザイン経営の導入の結果、より良い製品やサービスの提供につながれば、市場で優位に立つことができ、収益性の向上も期待できます。 公公益財団法人日本デザイン振興会が実施した調査によると、売上成長している企業はデザインへの投資に積極的な傾向にあります。
「中小企業のためのデザイン経営ハンドブック」は、特許庁が2021年に発行した冊子で、中小企業向けのデザイン経営の入り口が紹介されています。それらは、人格形成、企業文化の醸成、価値の創造という3つのパートに分かれています。
- 会社の人格形成 意思と情熱を持つ (MISSION)、歴史や強みを棚卸しする (IDENTITY)、未来を妄想する (VISION)
- 企業文化の醸成 社員の行動変容を促す (BEHAVIOR)、社内外の仲間を巻き込む (COLLABORATION)、魅力的な物語を発信する (STORYTELLING)
- 価値の創造 人を観察・洞察する (INSIGHT)、実験と失敗を繰り返す (PROTOTYPING)、心をつかむモノ・サービスをつくる (EXECUTION)
デザイン経営を取り入れている中小企業の実例も掲載されており、自社への活用方法の参考になります。
エビデンスに基づいたデザイン
デザインは、見た目やブランディングだけにとどまらず、人々の期待に応える (またはそれを超える) 製品、プロセス、戦略を生み出すことにもつながります。そのために、デザイン経営を取り入れた企業は、徹底したリサーチによってユーザーへの理解を検証し、試行錯誤のプロセスを繰り返して新たな機会を見つけ出します。
デザインにおけるリサーチとは、製品開発だけでなく、いろいろな領域で問題解決やイノベーションを達成するための取り組みです。例として、椎木氏は社内文書の整理にデザインを活用できることを挙げています。「多くの企業では、ロゴの使い方や対外的なコミュニケーションについて、詳細なスタイルガイドが定められています。しかし、それ以外の部分を整理する際には不十分であることが多いですね。例えば、社内コミュニケーションの方法がきちんと定義されていないと、必要な情報が見つからなかったり、時間がかかったりすることがあります。場合によっては致命的な問題となります」。
デザイン決定のためのエビデンス収集
それでは、どのようにすれば確かな根拠に基づいたデザインの意思決定ができるのでしょうか。その最初のステップは、ユーザーからのフィードバックを収集することです。ここでいう「ユーザー」とは、通常は顧客を指しますが、場合によっては社内のスタッフやその他のステークホルダーも含みます。効果的な意思決定を行うためには、ユーザーの行動や感情を把握することが不可欠ですが、そのようなデータは定量 (量的) 調査と定性 (質的) 調査で得ることができます。
- 定量調査 ユーザーの行動、好み、意見を測定するために、数値データを収集することに重点を置いた調査方法です。サーベイ調査、アンケート、データ分析などを用います。
- 定性調査 非数値データを収集し、ユーザーの思考、感情、動機に関する洞察を得るための調査方法です。 手法としては、インタビュー、フォーカス・グループ・ディスカッション、参与観察などがあります。
定量調査と定性調査を組み合わせることで、企業はユーザーのニーズや嗜好を包括的に理解することができます。このような根拠に基づいたアプローチでデザインを決定することにより、効果的でユーザーフレンドリーな製品や サービスを生み出すことが可能になります。
デザイン決定のテスト
SaaSなど、複雑なインタラクションを伴うデジタル製品開発の場合は、ユーザーエクスペリエンス (UX) ソフトウェアを使用すると良いでしょう。 デザイン案のプロトタイピングや、実際のユーザーでテストを行うことで、貴重なフィードバックを得られます。これにより、Webサイトやアプリの使いやすさ、アクセシビリティ、満足度を測定し、改善点を特定することができます。
A/Bテストは、デザインのわずかな変化がユーザーの行動にどのような影響を与えるかを確認できるため、UXデザインにおける意思決定に非常に有効です。この手法では、2つのデザインバリエーションをオーディエンス (ユーザー) に提示し、その効果を評価することによってデザインを最適化します。
全社を巻き込んだデザイン活動
企業理念の明確化と全社での共有が優れた企業文化・風土を確立することにつながるように、すべての従業員が企業のデザインやブランドに関与することが望まれます。大企業になるとデザイン責任者 (CDO, Chief Design Officer) を任命することが多く、限られた責任者が多くの権限を持つことが必然的となるでしょう。
この点について、椎木氏は「中小企業は大企業に比べて、ほとんどの社員がデザインプロセスに参加しやすいというメリットがある」と指摘しています。

さらに、同氏は次のように述べています。「自由度が高いということは、一見デザイナーにとって有利に思えますが、デザインプロセスは共同作業であるべきです。さまざまな部署の人がそのプロセスに関わることで、より豊かで包括的な成果を出せます」。
このアプローチが効果的であるためには、デザイナーが業務の中で発言権を持つ必要があり、同様に、すべての従業員がデザインプロセスで発言権を持つ必要があります。デジタルツールを活用すれば、デザイナーやデザインチームと他部門のコラボレーションが実現できます。
- グラフィックデザインソフト ほとんどのデザインソフトには、ユーザー間のコラボレーションやレビューを行える機能が備わっています。
- プレゼンテーションソフト 熟練のアーティストでなくても、プレゼンテーションソフトを活用すれば、コンセプトを伝えるためのムードボードを簡単作成することができます。これはデザイナーにとって大変役立つ資料となります。
- クラウドストレージ 画像や動画などのアセットが形になってきたら、効率的にファイルを共有するためのオンラインストレージシステムを導入することが不可欠になります。
AI時代におけるデザイン思考
生成AI (人工知能) の進歩により、プロのアーティストや写真家の作品に匹敵するようなイラストや写真を、テキストを入力するだけで作成することが可能になりました。言語・画像の大規模データセットで学習したAIシステムは、入力プロンプトの工夫次第で高品質のビジュアルコンテンツを生成することができます。
このような進展を考えると、デザイナーの仕事が不要になる日がくるのではないかと椎木氏に問いかけました。
「最近、このことについてよく考えますね(笑)。すでに多くのWebサイトではストック写真やテンプレート化されたデザインが使われているので、AIの活用はその延長線上にあるに過ぎないのかもしれません。でも、だからこそ、差別化がますます重要になると思うのです。AIを使えば、非常に画一的で誰でも利用できるようなデザインになります。オリジナリティを求めるならば、やはり人間の才能に頼り、デザイン思考をビジネスに取り入れる必要があるでしょう」。
デザイン思考とは、スタンフォード大学デザイン研究所の定義によると、深いユーザーインサイトと創造的なプロセスを組み合わせて、イノベーションや製品開発を実現するための多角的なプロセスです。以下、そのステップをご参照ください。

デザイン思考の各段階を経て、デザイナーはユーザーの期待やニーズに応えるための最適な解決策を見つけ出すことができます。AIは優れたツールであり、今後ますます活用されるでしょう。しかし、デザイン思考の核心である人間の洞察力や創造力は、人工知能によって完全に置き換えられるものではありません。そのため、オリジナリティや差別化を追求するためには、デザイナーの能力やノウハウが引き続き不可欠であると言えます。
まとめと今後に向けて
デザインは見た目や機能性にとどまらず、ユーザーに価値を提供し、ビジネス上の課題に対処するための強力な手段であることがわかりました。
デザイン経営のアプローチを効果的に導入するためには、以下のポイントを考慮してください。
- ユーザーのニーズに焦点を当てる 顧客や対象となるユーザーが何を必要とし、どのような問題に直面しているのかをよく理解し、そのニーズや要求を満たすための製品、サービス、体験をデザインします。
- デザインを意思決定に組み込む 企業戦略においてデザインが重要な役割を果たせるようにし、デザインリーダーのポジションを設けたり、実力あるデザイナーやデザイン会社とのコラボレーションを検討します。
- デザイン文化の構築 従業員に創造的、協調的、実験的な考え方が身にくように促し、デザイン思考に関するトレーニングやリソースを提供する。
- デザインの効果測定 メトリクスやKPIを通じて、デザインがパフォーマンスにどのような影響を与えているかを評価します。これにより、デザイン経営の取り組みを見直し、改善することができます。